定時が過ぎた記録室。同僚が帰っていく中、主任に呼び止められて「次のポジション、考えてみてほしい」と言われた。廊下に出て、返事もそこそこに頷いた。家に帰ってから、ずっとスマホをいじっていた。嬉しくなかった。自分でも、なぜか分からなかった。
この感覚に、名前をつけるとしたら何だろう。
管理職になりたくない、という気持ちは、意欲の低さではない。「臨床を続けたい」「責任と給与が見合わない」「自分には向いていない気がする」——それは正直な感覚だし、構造的にも正しい。理学療法士・作業療法士・言語聴覚士のキャリアにおいて、管理職を断ることは「逃げ」ではない。
なぜ「なりたくない」のか——7割以上が同じ気持ちを持っている
一般職でも60%以上が「断る」と答えている現実
管理職を打診されたら断る——そう答える人は、何もリハビリ職だけではない。
Biz Hitsの調査によれば、一般職の60.6%が「管理職を打診されたら断る」と回答している。管理職になりたくないと感じている割合は全体の約77%にのぼり、2018年(約72%)から増加傾向にある。
「なりたくない自分がおかしいのでは」という罪悪感を感じているなら、それは思い込みだ。むしろ、なりたくないと思う人のほうが多数派になっている。
PT・OT・STが管理職を避けたくなる3つの理由
リハビリスタッフが管理職を断る理由には、共通のパターンがある。
1. 責任は重くなるのに、給与の上がり幅が小さい
主任・係長クラスに昇格しても、月給の増加が数万円程度という職場は少なくない。残業が増え、部下のフォローが入り、カンファレンスの準備が加わる。時給換算すると、下がっていることすらある。
2. 臨床から離れることへの喪失感
セラピストになった動機の多くは「患者さんと関わりたい」だ。管理職になるほど間接業務が増え、担当患者数が減る。「なんのために資格を取ったんだろう」という問いが浮かぶ。
3. 人間関係の調整がストレスの核になる
部下と上司の間に挟まれ、スタッフの不満を吸収しながら、経営側の要求も通す。この構造は、向き不向きが大きく出る。苦手な人が無理に引き受けると、消耗するだけだ。
これは制度の問題でもある。管理職の対価設計が正しく機能していない職場が多い。その環境に対して「なりたくない」と感じるのは、冷静な判断だ。
断ったら終わり?——職場で起きることの正直な話
断ることで起きうるリスク
隠さずに書く。断ることには、リスクがある。
- 昇進ルートから外れる可能性がある
- 「向上心がない」と評価される場合がある
- 昇給の機会を逃すことがある
ただし、これは「だから断るな」という話ではない。知った上で選ぶための情報だ。
「断ると損」と感じるのは、その職場の評価軸が管理職への移行を前提にしているからだ。全ての職場がそうではない。そして、その軸が自分に合っているかどうかは、別の問いになる。
それでも「断って正解だった」ケースがある
管理職を断り、専門性を深め、転職でキャリアを切り開いた人は実際にいる。
今の職場で管理職を断るリスクと、臨床スキルを磨かずに5年・10年を過ごすリスクは、別物だ。「今の職場での立場」と「長期的なキャリアの価値」は、切り分けて考える必要がある。
主任になれなかったことより、臨床家として成長の止まった10年のほうが、次の転職では響く。
管理職以外でキャリアを作る——臨床を続ける人の選択肢
専門性を深める道——認定・専門資格とその現実
理学療法士には「認定理学療法士」「専門理学療法士」という専門資格がある。取得者は全体の約9%・1%と、まだ少ない。
資格手当は職場によって異なり、「取れば収入が上がる」とは言い切れない。ただ、転職の場面では交渉材料になる。専門性を示す根拠として、履歴書に載る。「臨床を続けながらキャリアを作る」選択肢の一つとして、現実的な道だ。
作業療法士・言語聴覚士にも同様の認定制度がある。自分の専門領域で掘り下げる方向性を、一度確認してみるといい。
職場を変える——転職による環境の更新
同じ「臨床職」でも、職場によって給与・文化・働き方は大きく異なる。
訪問リハビリは、病院勤務と比べて年収が高い傾向がある。400〜600万円台のレンジに入る求人も多く、管理職への昇格を待つより、転職で年収を上げるほうが現実的なケースもある。
管理職を断ることで今の職場での昇給機会を逃すとしても、転職で補える可能性はある。「今の職場の中だけでキャリアを考えない」という視点が、選択肢を広げる。
副業・複業という補完戦略
管理職の給与アップ分を、副業で補う発想もある。
- 訪問リハビリの非常勤を掛け持ちする
- 自分の専門領域でセミナー講師を担う
- ライティングや情報発信で収入を作る
副業を始める前に就業規則の確認は必要だが、フリーランス的な動き方で月数万円を上乗せしている人は珍しくない。
管理職になるかどうかとは別軸で、収入の構造を変える選択肢がある。
上司への伝え方——角を立てずに、正直に断るための言葉
断るときの3原則
打診された日に、その場で即断しない。
「少し考えさせてください」と時間をもらうことが最初のステップだ。感謝を最初に伝え、「臨床に集中したい」という前向きな理由を軸に断る。
フレーズの例:
「お声がけいただいてありがとうございます。正直に申し上げると、今は担当患者さんの臨床に集中することで貢献したいと考えています。管理職としての役割をうまく果たせる自信がまだなく、今の段階ではお断りさせてください」
「向いていない」と言うより、「臨床を続けることで貢献したい」という言い方のほうが、相手に伝わりやすい。断ることと、組織への貢献意欲は、別の話だ。
断ったあとに気をつけること
断った後も、仕事の質で貢献し続けることが大切になる。
「管理職じゃなくても頼りになる存在」という立ち位置を作れると、評価の軸が変わる。担当症例の質、後輩への関わり方、カンファレンスでの発言。管理職でなくても、影響力は持てる。
断るという選択を、行動で裏づけていく。
「なりたくない」は、キャリアの本音を知るサイン
管理職になることで得るものがある。組織への影響力、給与の上乗せ、「育てる」経験。それが合っている人には、意味のある選択だ。
一方で失うものもある。臨床に使える時間、患者さんとの濃い関わり、自分のペースで働く感覚。
どちらが正解かは、外から決められない。ただ、「なりたくない」という感覚が出てきたとき、それは自分がどこに価値を置いているかを教えてくれるサインだ。
その感覚を無視して管理職になっても、長くは続かない。その感覚に従って断ったとしても、それで終わりにはならない。キャリアは、一つの選択で決まるほど単純ではない。
モヤモヤを一人で抱えている方は、個別相談を受け付けています。


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