病院を離れて「企業で働くPT」になった。産業保健という出口のリアル
職場体験が始まった初日、更衣室ではなく本社ビルのエレベーターに乗った。フロアに着くと、白衣ではなくオフィスカジュアルの人たちが席に座っていた。「理学療法士です」と自己紹介したとき、隣の席の人が「え、理学療法士って病院の人じゃないんですか」と言った。
そのとき思った。ここに来て正解だった、と。
病院や訪問リハで毎日患者さんと向き合いながら、どこかで「もっと根本から何かできないか」と感じていたPTは少なくない。退院後の再受傷、繰り返す腰痛、職場に戻れない人たち。その問題の多くは、「働く場所」そのものにある。
産業保健という選択肢は、まだ知られていない。でも確実に広がっている。
なぜPTが企業に必要とされているのか
腰痛・転倒・メンタル不調が「経営問題」になった
厚生労働省の調査によれば、業務上疾病の約6割が腰痛だ(令和4年業務上疾病発生状況)。製造業の現場だけでなく、物流・介護・飲食・オフィスワークでも腰痛離職は深刻な問題になっている。
企業側は気づき始めた。従業員が休業すれば代替要員のコストが生じる。パフォーマンスが落ちれば生産性が下がる。健康問題を「個人の問題」として放置する時代ではなくなった。
経済産業省の「健康経営優良法人」認定制度には2024年度、16,000社を超える企業が申請している。健康投資を企業価値として打ち出すことが、採用・ブランド戦略として機能し始めている。
産業保健チームに「身体の専門家」が足りない
産業保健の現場には、産業医・産業看護師・保健師が中心にいる。彼らは内科的な健康管理やメンタルヘルスに強い。一方で、「腰に負担の少ない作業姿勢を設計できる人」「筋骨格系の問題を評価して職場環境を改善できる人」は、ほとんどいない。
PTが持つ身体機能の評価スキル、動作分析の視点、運動指導の知識。これらは産業保健の現場でそのまま使える。問題は、PTがそのことをまだ知らないことだ。
産業保健でPTが担う仕事、具体的には何か
人間工学コンサルタント:作業環境の改善提案
製造ラインやオフィスの作業環境を評価し、腰痛・頸肩腕障害が起きにくい環境を設計する仕事がある。椅子の高さ、モニターの位置、荷物の持ち方、立ち作業の時間配分。PTがリハビリで当たり前にやっている「動作観察」が、ここでは人間工学コンサルティングと呼ばれる。
大手製造業や物流会社では、専門のエルゴノミクス担当者を雇用するケースも出てきた。外部のコンサルタントとして契約する働き方も広がっている。
職場復帰支援:病院のリハとは違うゴール設定
休職者が職場に戻るまでのプログラムを組む仕事だ。PTとして病院でやってきたリハビリとは、ゴールが根本的に違う。ADLの改善ではなく、「この人がこの仕事にどれだけ身体的に耐えられるか」を評価し、段階的な復帰プランを立てる。
産業保健センターや健康管理会社では、この分野にPTが関わる機会が増えている。心療内科や精神科との連携が多く、メンタルヘルスの知識も自然と身につく。
健康経営スタッフ:予防プログラムの企画・運営
社員向けの腰痛予防体操、転倒リスク評価、ストレッチ指導。健康経営を推進する部署では、これらのプログラムを企画・運営できる人材が求められる。PTとしての専門性が、ここでは「コンテンツを作れる力」として評価される。
セミナー講師として社内外で話す機会も多い。「伝える力」を磨く場として、臨床とは別の成長がある。
転職ルートは3つある
ルート1:EAP機関・健康管理会社への転職
最も入りやすいルートだ。EAP(従業員支援プログラム)を提供する機関や、企業の健康管理を受託する会社には、リハ職の求人が存在する。「産業保健経験不問、PT・OT歓迎」という求人も出てきた。
求人数はまだ少ないが、専門職転職サイトに加えて、産業保健関連の求人サイト(産業保健スタッフ専門)も確認する価値がある。
ルート2:大企業の健康管理室への直接応募
製造業・物流・通信など、規模の大きい企業には「健康管理室」や「EHSチーム」がある。PT採用の実績がある企業も存在する。求人が表に出ないケースも多いため、直接問い合わせる積極性が必要だ。
採用されやすい強みは、腰痛対策の経験・職場復帰支援の実績・セミナー講師経験の3つ。転職前に意識的に積んでおくと有利になる。
ルート3:産業保健コンサルとしての独立
経験を積んだ後のキャリアとして、フリーランスで複数企業と契約する働き方がある。月1〜数回の訪問契約や、プログラム開発の単発案件など形態はさまざまだ。
独立には「実績と信頼」が前提になる。最初の2〜3年はどこかの組織に所属して、産業保健の文脈での仕事を積み上げてからでないと厳しい。
「PTの資格だけで足りるか」という正直な答え
足りる場合と、足りない場合がある。
衛生管理者資格を取るメリット
衛生管理者は事業場の安全衛生管理を行う資格で、PTの国家資格があれば受験資格を満たすケースが多い。企業の健康管理室に就職する際、「衛生管理者を持っている」と話が早くなる。取得を求められることはないが、持っていると選考が有利に働く。
試験は第一種・第二種があり、製造業や有害物質を扱う職場に関わるなら第一種が望ましい。
産業保健系の研修・学会への参加
日本産業衛生学会、産業理学療法研究会など、PTが産業保健を学べる学術的な場が存在する。認定資格というより、「この分野を本気で学んでいる」というシグナルとして転職時の強みになる。
年収と働き方のリアル
転職直後は下がることが多い
正直に言う。病院・訪問リハからの転職直後、年収が下がるケースは多い。健康管理会社の初年度は300〜400万円台が中心だ。訪問リハで月30万円以上稼いでいたPTにとって、最初の一歩は痛みを伴う。
ただし、これは「産業保健未経験」という状態での話だ。2〜3年で専門性が認められれば、年収は上がる。コンサルタント・フリーランスに移れば、訪問リハより高い収入を得ているPTも実際にいる。
残業・当直がなくなった
転職した人が口をそろえて言うのは、「生活が変わった」という言葉だ。土日休み、当直なし、有給が取りやすい。体力的・精神的な消耗が減り、仕事以外の時間ができた。
年収より大切なものが何かは、人による。でも「今の働き方でいいのか」と感じているなら、それは構造の問題だ。個人の問題ではない。
おわりに
臨床の外に出ることが、PTとしての価値を下げるわけではない。「身体の専門家」としての視点は、企業の現場でこそ求められる場面がある。
産業保健という出口は、まだ狭い。求人も少ないし、ロールモデルも少ない。でも、数年後には確実に広がる分野だと思っている。
モヤモヤを一人で抱えている方は、個別相談を受け付けています。


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