プライベートで「仕事何してるの」に答えたくない

リハビリ職の本音

「で、仕事は何してるの?」

居酒屋の喧騒の中で、初対面の人にそう聞かれた。一瞬、答えを探す間があった。理学療法士です、と言った。「へえ、すごいね」という返事があって、話題は次に移った。

その夜、帰り道でなんとなく考えた。「すごいね」という言葉を、受け取れなかった気がした。

「すごいね」が刺さらない理由

「理学療法士です」と答えると、たいていの反応は二つに分かれる。「知らない、なんの仕事?」か、「ああ、リハビリの先生ね」だ。

どちらに対しても、同じ言葉を続ける。病院で患者さんの身体機能の回復を支援する仕事です。そう言うと「大変そう」か「やりがいありそう」が返ってくる。

これで会話は終わる。

相手に悪意はない。こちらも嘘はついていない。でも何かが伝わっていないという感覚だけが残る。「すごいね」と言われたのに、素直に受け取れない。この感覚を、言葉にできずにいる人は多い。

職種名が「答え」になっている問題

「仕事なに?」という質問には、本来二つの意味がある。一つは、どんな役割・どんな組織に属しているか、という属性の確認だ。もう一つは、あなたはどんな人か、を知ろうとする問いだ。

多くの場合、リハビリ職は前者だけを答えている。

「理学療法士です」は、資格の名称を伝えている。業務の許可証を提示しているにすぎない。「何をしている人か」という問いに対して、「何の資格を持っているか」を答えている。

この食い違いが、会話を止めている。相手は「あなたがどんな人か」を知りたいのに、こちらは「私はこの資格を持っています」と言っている。すれ違ったまま「すごいね」で終わる。

答えられないのは、説明力が低いからではない

「自分の説明が下手なのかな」と思う人もいる。でも、そうではない。

リハビリ職が仕事を説明しにくいのは、自分の仕事を資格の外側から語る機会が、ほとんどないからだ。養成校でも、職場でも、「あなたはどんな仕事をしているか」を自分の言葉で語る訓練はない。国家試験は通過したが、「私はなぜこの仕事をしているか」を問い直す場はなかった。

「担当患者さんが退院した日、廊下でこっそり泣いた」という経験がある人は多い。その感情の重さは、「リハビリ職です」という言葉には入らない。

自分の仕事の核心が、職種名の中に収まっていないことを、身体で知っている。だから答えたくなくなる。

答えたくない感覚が育つ場面

この感覚は、特定の場面で強くなる。

仕事と全く関係のない場所で聞かれるとき、だ。友人の結婚式の二次会、学生時代の友人との久しぶりの再会、旅先で知り合った人との会話。そういった場で聞かれるほど、答えることへの抵抗感が強くなる。

臨床の現場では、「理学療法士」という役割の中にいることが許されている。患者さんも家族も、こちらの専門性を前提にして関わってくれる。しかし、それが通じない場所では、「あなたは何をしている人か」を一から説明しなければならない。その作業の重さが、「答えたくない」に変わる。

答えたくないのは、自分の仕事を誇れないからではない。自分の仕事の本質を、短い会話で伝える言葉をまだ持っていないからだ。

言葉がないのは、問いを立てていないからだ

自分の仕事を語る言葉は、自然には育たない。意識的に問い直すことで初めて生まれる。

「私は何をしている人か」という問いから始めると、答えは職種名に戻ってくる。

「私は誰の、何を変えているか」という問いに変えると、答えが変わる。

たとえば、脳卒中後の患者さんのリハビリを担当しているとする。「何をしているか」という問いへの答えは「運動機能の回復支援」になる。しかし「誰の何を変えているか」と問うと、「脳卒中で利き手が動かなくなった人が、自分で食事をとれる状態に戻ること」という答えが出てくる。

後者の言葉は、「すごいね」ではなく「それは大変だったね、でもその人にとってどれだけ大きいことか」という反応につながる。

資格の名前が先に出てくる構造

日本の専門職教育は、資格の取得を最終目標として設計されている。その構造の中で育つと、自分のアイデンティティの核に「資格」が置かれる。

「私はPTです」「私はOTです」「私はSTです」。資格名が自己紹介の先頭に来る。

しかし資格は、仕事をする許可証だ。「あなたは誰か」という問いへの答えではない。

医師の場合、多くは「消化器内科をやっています」のように、専門領域まで含めて自己紹介する。これは資格名ではなく、何をしている人かを先に伝えている。「医師免許を持っています」とは言わない。

この差は、自分の仕事の核をどこに置くかの違いだ。

答えたくないは転換点のサインだ

プライベートで仕事の話を避けるようになったとき、それを疲れやモチベーション低下の証拠と解釈しがちだ。しかし、実態はそうではないことが多い。

答えたくない、という感覚は、「自分の仕事を今の言葉では語れない」という気づきが育ち始めているサインだ。

「理学療法士です」で終わることへの違和感は、「もっと正確に伝えたい」という欲求の裏返しだ。伝えたい何かがある人だけが、言葉の足りなさに気づく。

この感覚を放置すると、「仕事の話はしたくない」に変わっていく。しかし、丁寧に向き合うと、「自分の仕事を自分の言葉で語れるようになりたい」というエネルギーに変わる。

今日、一つだけやってみる

職種名を使わずに、自分の仕事を3行で書いてみる。

構造はシンプルだ。「〇〇な状態にある人が、〇〇できるようになるために、私は〇〇をしています」。これだけでいい。

書けなかった部分に、次の問いがある。どこで詰まったかが、自分の仕事の言語化の出発点だ。

「仕事なに?」に答えたくないのは、仕事への熱量が低いからではない。自分の仕事の実態と、手持ちの言葉の間にギャップがあるからだ。そのギャップを埋める作業を、少しずつ始められる。

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