PT・OT・STが「教える立場」になったとき最初につまずくこと|3つのパターンと乗り越え方

PT・OT・STが「教える立場」になったとき最初につまずくこと リハビリ職の本音

「説明しても翌日には忘れている。どうやって教えればいいのかわからない」

こういった言葉を、ある程度の経験年数を持つリハビリ職から聞くことが増えている。後輩や新人が増えた、主任・チーフに就いた、教育担当になった。そういったタイミングで多くのPT・OT・STが同じ壁に当たる。

自分が「できること」を人に伝える難しさだ。

これは個人の指導スキルの話ではない。リハビリ職の臨床教育が長年「見て覚える」文化の上に成り立ってきたことと、教えるための仕組みを設計する機会がないまま指導者になるという構造的な問題から生じている。

この記事では、リハビリ職が「教える立場」になったときに最初にぶつかる3つのつまずきパターンと、それを乗り越える具体的な手順を整理する。

「教える立場」になったとき感じる最初のズレ

臨床経験が重なると、動作分析もリスク判断も無意識にできるようになる。患者の重心移動を見て次の介助タイミングを決める。これを誰かに説明しようとすると、言葉が出てこない。

「見ていればわかる」「感じればわかる」という言葉が出てくるとき、それは指導者自身が自分の判断プロセスを言語化できていないサインだ。

リハビリ職が臨床で身につける力の多くは「手続き的知識」と呼ばれるものだ。繰り返しの経験によって自動化された知識であり、意識せずに動ける状態になっている。この状態の知識を他者に渡そうとすると、途端に言語化の壁にぶつかる。

「教える立場」になって最初に感じるズレの正体は、この言語化のギャップだ。自分の中にあるものを言葉にする習慣がなかった状態で、いきなり教えることになる。それが最初のつまずきを生む。

最初につまずくパターン1:「自分でやったほうが早い」問題

新人が処置に手間取っている。時間がかかる。見ていられず「ちょっと代わります」と引き取る。一回なら問題ない。しかしこれがパターンになると、教育は止まる。

新人には「判断する前に取り上げられる」経験が積まれていく。自分で考えて動く機会が奪われ続ける。指導者は「教えた」と思っているが、新人には「やらせてもらえなかった」経験が積み上がっていく。

このパターンの原因は、指導者の完璧主義でも時間不足でもない。「失敗を見守る設計」がないことだ。どこまで待つか、どこで介入するかの基準が指導者の中にないため、感情的なタイミングで引き取ってしまう。基準がなければ、誰でも同じことをする。

最初につまずくパターン2:「なぜわからないのか」が見えない盲点

自分が当たり前にできることを、相手ができない。この状況に直面したとき、多くの指導者は「もう一度説明する」か「もっとゆっくり話す」という選択をする。

しかし問題は説明の速さではなく、「前提にしている知識の差」にある。

指導者が当然と思っている解剖の知識、動作観察の視点、リスクの捉え方。これらがインプットされていない状態では、どれだけ丁寧に説明しても情報は入らない。「なんでわからないのか」がわからないとき、それは相手の理解力ではなく、必要な前提知識の設計が抜けていることのサインだ。相手の頭の中に何が入っていて、何が入っていないかを把握する前に、教えることだけを続けても効果は出ない。

最初につまずくパターン3:「ちゃんと教えた」の行き違い

口頭で説明し、実演を見せ、一緒にやった。指導者としては「教えた」と思っている。しかし翌日、同じ場面で新人が動けない。

「昨日やったじゃないか」という感覚と、「初めてのことでした」という感覚がすれ違う。これは記憶力や注意力の問題ではなく、「教えた」と「伝わった」を同じものとして扱っている設計の問題だ。

確認の仕組みがなければ、伝わったかどうかはわからない。口頭説明だけでは記憶への定着は保証されない。「教えた」の事実と「伝わった」の事実は別物であり、両者をつなぐ確認のステップが抜けている状態が、このすれ違いを繰り返し生む。

つまずきの根にある構造

リハビリ職の臨床教育は、長年「見て覚える」文化で成り立ってきた。先輩の技術を隣で見ながら、言葉にならない何かを体に入れていく。実習もその延長線にある。

この文化で育った人が指導者になると、自分が受けた教育をそのまま再現しようとする。しかし現代の新人は、同じ前提を持っていない。情報を言語化して受け取ることに慣れており、「なぜそうするのか」の理由と根拠を求める。

さらに、リハビリ職は「患者を良くすること」を目的に訓練されてきた。人を育てることは、臨床スキルとはまったく異なるスキルセットだ。臨床で優れていることが、指導で優れていることを意味しない。この前提を早めに認識しないまま指導者になると、「なぜうまく伝わらないのか」という消耗が続く。

問題は指導者の能力にあるのではない。指導の仕組みをゼロから設計する機会がなかったことにある。

乗り越える手順1:暗黙知の言語化

最初にやることは、自分の臨床判断を言葉にすることだ。

たとえば「移乗介助で重心を前に誘導するとき、何を見て判断しているか」。体幹のブレか、足底の圧の変化か、患者の表情か。これを箇条書きで10個書き出す。

この作業は苦しい。言語化できないことに気づく瞬間がある。その気づきが指導設計の出発点になる。「言語化できていない」ということは、相手に渡す方法がまだない状態だ。言語化できるまでは、「教える」ではなく「一緒に見る」段階にある。この区別をつけるだけで、指導者の焦りは減る。

乗り越える手順2:「何を教えるか」の事前整理

指導は場当たり的に行うほど効果が落ちる。「今日は何を学んでほしいか」を業務開始前に決めておく。

一日の業務で新人が経験する場面のうち、教育的に意味のある場面を3つ選ぶ。各場面で「これが理解できていれば今日は合格」という基準を一つ設ける。

基準は高くなくていい。「バイタルの異常値を見て報告できる」「移乗前に必ず声かけを入れる」という具体的で観察できるレベルで十分だ。基準がなければ指導は感覚的になり、「教えた内容の記録」だけが積み上がる。指導者に必要なのは「確認できた行動の記録」であり、それは事前に基準を設けなければ残らない。

乗り越える手順3:「伝わった」を確認する仕組み

指導後に、新人に説明させる時間を1分取る。「今日学んだことを一度私に説明してみてください」という一言だ。

これは試験ではない。「どこが抜けているか」を確認するプロセスだ。説明させることで、新人自身が「わかっているつもりだったこと」に気づく。指導者は「どの言葉が届いていなかったか」を把握できる。

このサイクルを一日一回回すだけで、翌日の動き方が変わる。確認なしに「教えた」を積み重ねても、定着は低いままだ。口頭説明と実演と確認という3つのステップが揃って初めて、「教えた」が「伝わった」に近づく。仕組みのないところに習慣は育たない。

「育てる設計」の始め方

リハビリ職が「教える立場」になって最初につまずくのは、能力の問題ではない。臨床の中で「教える設計」をゼロから考える機会がなかっただけだ。

暗黙知を言語化する。教える内容を事前に整理する。伝わったかを確認する。この3つを一日の業務の中に組み込む。それだけで、明日の指導は変わる。

今日の業務が終わったあと、担当した新人に一つ聞いてみることから始めてもいい。「今日、なぜそうするのかわからなかった場面はありましたか」。その答えが、次の指導設計のヒントになる。

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